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私は昭和27年に小島吉雄先生の助手として,関西学院大学に赴任した。当時は今田恵院長・石兵太郎学長の時代で,今の経済学部に院長室・学長室があり,その建物め正面入口には「この玄関は来賓・教職員用のため,学生は両側の入口を使用すること」と足許に木の立て札があり,私がその玄関から入ると,「オイコラ,この立て札が見えないのか!!」と一喝されました。見れば学生部の年輩の職員で,これで関西学院を一遍に嫌いになったが,一週間前まで学生であった私は間違えられても致し方ないと思い直した。爾来,学長直属に9年,理学部の開設と共に33年の計42年間,学院にお世話になった。
理学部が設立された1-2年間に,多くの有名学者(茅先生,朝永先生,内田亨先生など)が来訪された。その多くは仁田部長の友人・知人の方々であり,部屋のノックと共に客人を伴われて仁田先生が現れ,各人の研究をみて廻った後,会議室でその学者を囲んで,いろいろと雲の上のお話を拝聴する機会があった。ある時,内田亨先生が理学部へ来られて会議室に集った時に,仁田先生が「生物学は将来どのような方向に発展していくと思われますか?」と聞かれました。内田先生は「1つは細胞の中のうんと小さな部分を対象として発展するものと,もう1つは生物の個体を対象とした生物学が発展していくと思われます」と答えられたのが印象的でした。この考えは30年以上経った今でも私は正鵠を射たものと思っております。
理学部が設立されてからも私は,毎年文科系学部の生物学を担当してきた。「般教」は一般に学生からは人気がなく,平成6年度のカリキュラムから姿を消すことになった。私は長年に亘って「私の生物学」とでも言うべき,独自の生物学を展開しようと心がけてきた。一般教養科目だから専門科目に劣ると言うような物ではない。自分の好きな講義内容を自由に構成し喋ることが出来るのが,大学の最大の取り柄と思っているが,この自由な取り柄が次第に窮屈さを増してきたように思われる。
学長直属時代に関西学院に理科系学部を作りたいと云う希望が,我々直属の自然科学系教員の間に根強く拡がってきた。昭和32-33年頃,理科系学部設置の要望書を理事会宛に提出して,当時の堀経夫学長から小島・勝本両先生と共に学長室に呼び出されて,「直属の教員が学長の承諾もとらずに,理事会に直訴するとは何事か!!」と大目玉を戴いたことを懐かしく思い出す。それから間もなく,時代の要請に応えて昭和36年4月(1961年)からの理学部設置が学院理事会で決定された。
この理学部は学院創立70周年の記念事業として開設されたものであり,田中彰寛先生が理学部の開設と関連して,理工科の思い出を学院70年史に書かれている。「関西学院に理工科があったことは,一般には余り知られていない。昭和19年,航空機科(100名),合成化学科(50名),製薬工学科(50名)で出発した理工科は,2年目の中頃敗戦となり,更に昭和25年9月ジェーン台風が上陸し,恐るべき竜巻きが理工科本館(現在の中学部),及び木造の実験室を破壊した。学院当局はこの年を以て理工科の閉鎖を決定した。この理工科閉鎖を問題にした時の理工科の赤字は年額300万円であった。この300万円が他の学部の負担になるからとの理由を強調されて閉鎖になった」。
「新しい理学部が学院の重荷となることは必然である。然し前車の轍を踏まぬ様祈るものである」と田中彰寛先生は関西学院70年史で述べられている (519頁-524頁)。理学部が黒字になることは,これからも無いと思われる。いつの時代でも赤字の学部である。これが維持されているのは,先発の文科系大手学部のお蔭であり,これ等の文科系学部の殆んどは,昭和4年上ケ原移転の時に建てた老朽校舎で今も辛棒して,その黒字を理学部へ廻して下さっていることを感謝しなければならない。お金は自分や家族のために使うことは出来ても,隣人や他人のために使うことは,とても難しいと言われている。高度成長が終り,低成長に入ったこれからは,猶更に諸事困難を伴うと思われる。理学部の我々には,この事を良く弁えた言動が求められる所以である。
私は研究面では一貫して蝶類の細胞遺伝学,進化学の分野で仕事を進めてきた。それは北大理学部・牧野佐二郎教授の許での卒業研究以来の仕事であり,それ迄羽化後は Meiosis 行わないと思われていた蝶が, Meiosis を行っていることを見出して,成虫を材料としての蝶類染色体研究が日本で初めて行われることになった。続いて,東南アジア・濠洲・北米・大平洋諸島・メキシコ・アフリカの種について染色体を調査した。また,Yale大学のRemington授と共に,Papilio, Colias, Speyeria, Limenitis の人為種間雑種,自然雑種の染色体から種の類縁を調べた。この時,アメリカの大学教授が,立派なそして皆大物であることに驚いた。日本では南山大学の阿江, 関学の川副の両博士と共に,Papilio の人為種間雑種を作り, Meiosis-I における染色体対合から種間の類縁関係を追求した。またPieris napi の n, 25と n, 26 の P. n. nesisと P. n. japonica との間の人為雑種のM-I 染色体対合から, 種の分化の問題について研究した。また, Pieris rapae の n, 25と n, 26 の異なった核型を持っ個体群の進化の道筋, 及びこれ等核型2型の間の自然雑種の解析,及び m一染色体の起原の問題を論じた。更に Lepidoptera の染色体が holokinetic organization を持っことを細胞学的に多くの実験から実証した。また,アオスジアゲハ Graphium sarpedon の発生卵を用いて,大きな染色体が出現する時期を確認して,分染法から Z, W, の性染色体を明確に指摘した。
これらの実験には, 理学部創立以来今日まで卒研生として,私の小さな研究室で蝶の幼虫・嫡・成体・卵を相手に黙々と仕事を続けられた諸君,即ち第一回生の高須・清水両君から内田(紘臣)君,宇野君,増野さん,今村君,内田(史道)君,三村・阪上両君,中川君,藤原・飯間両君,南里君,阿部さん,田中さん,金内さん,山本(幸司)君,垣内君,竹内・大谷君,三宅・山本(賀一)両君,青木・上田・元辻君,滝元・飛田君,木村君,羽谷・三橋両君,光村・森本・吉田君,橋本さん,井辻・今田・竹内・西口君,宮脇さん,勢山さん,野山さん,前田君,川嶋・小西・中山・吉田君,西村君,城戸・塩満・高田・永田君,井関さん,若井さん,田中君,松浦君,安達君,そして今年の北川・石田・北村君までの諸君の努力に負うところ多大である。また松山英子・飯田朋子・橋本朋子実験実習指導補佐の諸氏,並びに川副昭人博士の御援助による処が大きい。また,約10年前まで御在世で多くの御指導を受けた,恩師牧野佐二郎教授に深く感謝する。此等総ての人々の今までの御協力に感謝して筆を欄く。
産連研サーキュラー 30, 8-10 (1994).
関西学院大学理学部発行、理学部回想記より