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名古屋大学教授山本時男博士は,1969年に満63才となり,同年3月末日づけをもっ て停年退職することになった。この機会に,われわれは山本教授(以下山本と略す) の生物学に対する貢献および同大学生物学教室に対する功績を称賛するため,記念事 業を計画した。
山本家は代々郷士で,庄屋をつとめた。山本は,時宜(俳号野石)とたま(医師原 順庵の女)の長男として,1906年秋田県山本郡富根村(後に二ツ井町に編入)に生れ た。生家は米代川(能代川)の河畔にあったので,田園や河川の自然に恵まれた環境 で生育した。生物,とくに昆虫や魚類に対する好奇心が,後年動物学に志す動機となっ た。
高根尋常小学校,秋田中学校(旧)を経て,青森県の弘前高等学校(旧)に入学し た。卒業後,1926年に東京帝国大学理学部動物学教室に入学し,五島清太郎,谷津直 秀教授に学んだが,最も強い影響を受けたのは後者であった。谷津教授の“実験動物 学”の講義は,山本の専攻分野を決定した。
1929年に東大理学部を卒業,直ちに同学部助手に任命された。そして,1936年に理 学博士の学位が授与された。論文の表題は,“メダカ早期胚における律動性収縮運動” (英文)である。山本は,このテーマに関する研究を約10年つづけ,メダカ以外の魚 類(金魚,マス,シラウオなど)の卵でも,このような収縮運動の存在を明らかにし た。 この運動は,筋肉が未分化な卵に見られ,卵表下のペリブラストという原形質の収 縮によるものである。これの温度恒数(見かけの活性化熱)は,呼吸運動とか,心臓 搏動などとは異り,発生速度のそれと一致する。これは,この運動が発生を速めるの に関係することを示唆する。また種々の魚卵の研究では,原形質に比して,卵黄の多 いものほど運動が顕著である。したがって,この運動は一種の撹拌作用で,卵黄の吸 収に役立つものと推論した。
次の主要テーマである魚卵の受精生理は,律動収縮運動研究の後期とオーバーラッ プして始められたが,東大時代の後半から名大時代の前半にわたって17年間つづけら れた。そして,メダカを主要材料とし,金魚,ワカサギ,スナヤツメでも,このテー マの研究がなされた。1939年に,メダカ卵の浸透庄測定の結果に基づいて等調塩液を 調製し,等調液受精法が創案された。それまで,淡水魚の未受精卵は水に浸すと数分 以内に受精ならびに付活能力を失い,魚卵の受精・付活の生理学的研究はほとんど不 可能であった。等調塩液中では,メダカの未受精卵は数時間も受精能力を保ち,この 間,受精や発生が正常に営なまれうる。
この方法を用いて,山本は一連の輝かしい業績を挙げ,1944年には“受精波”説を 提唱した。
未受精卵の表層は,多数の表層胞で満されている。受精の時に起る,最も顕著な “可視的”現象は,精子貫入点から表層胞の崩潰が始まり,次第に反対側に進む変化 である。一見,この現象は一つの表層胞の崩潰が原因となって,隣接する表層胞が次々 と崩潰される“将棋倒し”式のしくみのように見える。しかし,実験的分析の結果, 精子貫入,または人工的刺激が,表層原形質の中に,一種の“衝撃”を起す。これが 表層胞崩潰に先立って,表層胞を崩潰する不可視的な“波”として,伝播する現象を 起すものであることが証明された(1944)。ここに,未分化の細胞である未受精卵に, 一般被刺激系と類似の”刺激一興奮系”の存在を初めて明らかにした。約10年後にウ ニ卵でも,この説が日本や海外の学者により立証された。
1942年に,名古屋帝国大学(1947年以降帝国の名称は削除)に理学部が創立される と,山本はこれに講師として招かれた。同年助教授に昇任,翌1943年には教授に任命 され,動物学第2講座(動物生理学)を担当することになった。山本は,高嶺昇(植 物学),佐藤忠雄(発生学),島村環(細胞遺伝学)各教授や,久保秀雄(植物生理 学),石田寿老(動物生理化学),椙山正雄(細胞発生学,臨海実験所)各助教授た ちと協力して,生物学教室の創設に努力した。山本は,名大時代の初期には動物生理 学と脊椎動物学を講義し,後期には動物生理学と遺伝学の講義を担当した。
山本は27年にわたる名大在職中,多くの研究者,学生の研究を指導し,これらに貴 重な示唆を与えた。山本の教育の信条は,独立しうる研究者を育成することにあった。 山本に直接間接の指導を受け,学位を授与された者は,他大学の卒業生も含めて, 約20人に及ぶ。
1945年5月14日,第2次大戦の大空襲で生物学教室が全焼し,山本はほとんど総ての 研究資料を失った。動物学第2講座は信州木崎湖畔に疎開し,半年間滞在した。名古 屋に帰ってから,山本は新らしく性分化の問題に取組むことによって,不死鳥のよう に灰墟から立ち上がった。山本は,出現頻度の低い白(r)のメスと緋(ひ・R)のオスを交配し,それによって作られた子の緋のオスを白メスに戻し交配して,d一rR系 のメダカを育種した。この系統では,白(XrXr)はメス,緋(XrYR)はオスとなるか ら,体色によって遺伝的メスかオスかが容易に区別できる。現在で,この株はすで に18代目に達している。山本は,この系統を用いて性ホルモンによる性分化の転換を 確定的に立証したのである。
女性ホルモンをふ化直後から稚魚に経口投与することによって,XrYR尺をメスに転 換しうることを報告した最初の本論文は,1953年に発表された。1955年には,誘導E (XY)メス × XY オスの子(F1)のオスを検定して自然には存在しないYYオスを検 出した。一方逆方向の性分化の転換,すなわち,男性ホルモン(メチル・テストステ ロン)投与による遺伝的メス(XX)の性分化の転換は,難航をきわめたが,山本は5 年後にはこれにも成功した(1958)。両方向の性分化の転換が可能になったので,転 換魚同士の交配が可能になった(1961)。二世代にわたるエストロン投与によってYY を転換して,メスにすることができた(1963)。さらに,転換YYメスとYYオスの量産 にも成功し(1967),YY同士の交配が可能となった(1968)。 これらの実験と同時 に,梶島孝雄博士の協力を得て,9年にわたる実験の結果,金魚についても両方向へ の性分化の転換に成功し,正常魚との間に子孫を作らせることができた。
そして,検定交配の性比から,金魚ではメスがホモXX,オスがヘテロXY,であるこ とが始めて立証された(1968)。これら一連の論文を見る者は,山本の鋭い洞察力に 基く遠大な計画性と,実験に当っての,なみなみならぬ根気と丹念さに驚嘆させられ る。
山本のみのり豊かな研究活動は,後出の業績目録がこれを雄弁に物語っている。こ れらの業績に対しては,数々の賞が与えられた。すなわち,日本動物学会賞(1950), 中日文化賞(1952),日本遺伝学会賞(1957),東洋レーヨン科学・技術賞(1964) などである。
他面,山本は日本動物学会評議員,日本遺伝学会幹事,日本学術会議動物学研究連 絡委員,日本魚類学会評議員や,日本動物学彙報(欧文),日本動物学輯報(欧文), エンブリオロギア(欧文)の編集委員などの要職にあって,学界発展に大きく貢献し つつある。
当然のことながら,山本の名声は国内に限られるものではない。1960年には,3カ 月にわたり,米・英・仏・伊およびトルコの5カ国を訪問し,加州工科大学(CALTECH ),ナポリ臨海実験所およびパレルモ大学等で,魚類の性分化に関する講演,討論を 行なった。1963年8月には,第16回国際動物学会議(ワシントンD.C.)に日本学術会 議代表として出席,引きつづいて9月には,第11会国際遺伝学会議(ヘーグ)に出席 した。1965年5月には,フロリダで開催の“魚の間性”の会議に招待講演者として出 席した。また,同年10月から翌年(1966)の2月まで,ニューヨーク州立大学から客 員教授として招聘された。山本は富田英夫博士を伴って渡米し,同大学にメダカ実験 室を作り,研究ならびに研究指導を行なった。
われわれは,山本時男教授が末永く健康を保たれ,その卓抜な研究を今後一層発展 させられるよう,ひとしく祈願してやまない。
1969年3月
菱 田 富 雄